去る2022年4月25日に、在英日本大使館にて「Green Park Youth Concert Series」に出演させていただきました。
(この記事は2022年6月のブログ記事の転載です)
こちらは毎年春に、ロンドンはグリーンパークにある日本大使館内で行われる催しで、英国内の音楽大学に学ぶ日本人若手演奏家をフィーチャーするリサイタルシリーズです。ありがたいことに、2022年分の第12回を担当するお役目を賜りました。
「Youth Concert Series」では、日本人作曲家の作品をひとつは含んだ60分のプログラムを組むのがお約束です。お話をいただいたときから、わたしは「絶対に『幸田延』だ」と思いました。幸田延、1870年に生まれ、1946年に没した音楽家。文明開化のあとで、西洋音楽の普及に注力していた日本政府によって、欧米に派遣された最初の人です。東京藝術大学の前々身・音楽取調掛で学び、ボストンに1年、ウィーンに5年滞在したのち、藝大の前身・東京音楽学校で教鞭を執りました。彼女が書いた「ヴァイオリン・ソナタ第1番(1895)」は、日本人の西洋クラシック音楽としては最初の室内楽作品です。
わたしはヴァイオリニストとジェンダーの関係を探って、英国王立音楽院で博士論文を書いています。論文の中で幸田延を扱い、またこのソナタを演奏する動画も添付する予定です。わたしという演奏家が日本大使館という場所で演奏する、ということを考えたときに、個性として打ち出せる点は、研究にまつわる音楽を取り上げることだと思いました。
ところで、わたしの論文指導をするブライオニー先生が、ある日学内で「女性作曲家の作品を見つける・演奏する」というテーマで特別講義をしたことがありました。わたしも受講したのですが、2022年時点でまだ世間では馴染みが薄いとされてしまう女性作曲家の作品をプログラムに含む時、「バイナリー」にならないように気をつけるべし、という言葉がありました。女性作曲家の曲がひとつしかなく、ほかがみな男性作曲家の作品の場合、受け手によって「女性作曲家/男性作曲家」というひとつのはっきりとしたコントラストを見出されてしまうことがあり、いじわるな見方をする人に「女性の作品はつまらない」と言わせてしまう。これを避けるためには、要素を「3つ」にするのだ、と。
この話を聞いたわたしは、幸田の曲に、もうひとり別の女性作曲家の作品を合わせたいと思って、曲探しをしました。方法はシンプルです。わたしにはまだまだ、知らない作曲家がたくさんいるので、wikipedia の「List of women composers by name」というページを開いて、ひとつひとつの名前を調べては残した作品リストを眺めるだけで、何時間でも勉強できます。でもそうすると膨大な時間がかかるので、今回は一旦、英国で活躍した作曲家に絞り、ちょうど良い長さのヴァイオリン・ソナタを探しました。そこでわたしの興味を引いたのが、エセル・スマイス(Ethel Smyth, 1858–1944)の「ヴァイオリン・ソナタ(1887)」でした。
スマイスは、かの女性参政権運動(Women’s suffrage movement, 19世紀末から20世紀初頭)に積極的に参加した人で、勇敢に闘ったために投獄された経験もあります。当時は女性参政権運動に参加した人がしばしば投獄されたり、公安にマークされたりしていたのです。この運動を描いた映画『Suffragette(2015, 邦題『未来を花束にして』)』がありますが、彼女自体は出てこないものの、劇中で歌われているアンセム『The March of the Women』は、彼女が作曲したものです。彼女の自叙伝を図書室で借りて、ポートレート写真を見たとき、ネクタイを締めてジャケットを身につけた彼女の鋭い視線に、わたしはすっかり射抜かれてしまいました!
幸田とスマイスが生きた時代は重なっていて、これはおもしろい組み合わせです。ふたつのソナタで40分かかるので、残りの20分は演奏会の導入として、お客さまがソナタに集中できるように、耳のお支度ができる曲を選びたいと思った結果、クライスラー(1875–1963)の小品を3つ選びました。クライスラーは生粋のウィーンっ子で、ウィーンで作曲された幸田のソナタにバトンを渡すにはぴったりだと思いました。また幸田は留学を終えた後にも一度欧州を旅して、ベルリン、ウィーン、パリ、そして最後にロンドンを巡った記録がありますので、スマイスへの繋がりも作れます。いかにもヴァイオリンらしいクライスラーの小品で始めて、幸田の曲を経由し、スマイスへの流れはまるで、「わたしはヴァイオリン弾きで、日本から来て、今はイギリスでフェミニズムの研究をしています」と自己紹介をするようです。
ところで、スマイスという人は前述の通り、いつもスーツを着てタイを締めているような人でした。そんな彼女の作品を弾くのに、わたしはタイを締めないで良いのだろうか? と悩みました。それでもわたしが今回ドレスを着た理由はすなわち、「去年古着屋さんで一目惚れしたドレスを着たかったから」かつ「緑はサフラジェットカラーのひとつだから」です。
先日「日本の演奏家はなぜフリフリドレスを着るのか」と思い、ちょっとした調査をしてブログにまとめたところ、大きな反響をいただきました。
その声の中には、音楽家はみんなパンツでいい、奏者の服は黒でいい、などの意見も見られました。でもわたしはそれらの意見には賛同しません。わたしはこれまで、ドレスの着用を楽しんだ経験も、ドレスの色合いや生産国に意味を見出して着用してきた経験もあるためです。
わたしはファッションが好きなので、自分に似合うものを探してコーディネートすることは苦どころかすごく楽しみです。2021年のロックダウン中に近くを散歩していたら、偶然ショーウインドウのドレスが目に止まって、ガラス越しにも絶対に自分のサイズだと確信しました。襟ぐりも詰まっていてラインが美しく好みの形です。ロックダウンが明けてお店が開いたときに試着させてもらったらやはりぴったりだったので、そのときは演奏会の予定も決まっていないのにいそいそと買ってきたわけです。わたしはその60年代のドレスを着る機会を虎視眈々と狙っていたのでした。ちなみに女性参政権運動は第一波フェミニズムと呼ばれますが、60年代には第二波フェミニズムが起きました。
またドレスの色が緑なので、髪飾りを工夫すれば、紫・白・緑の「サフラジェットカラー」になると思いました。これはスマイスへの敬意の表し方のひとつになるでしょう。事前に紫と白のリボンを買ってきて、当日はハーフアップにした髪に結びました。ですから、わざと客席から見えるように結んだつもりです。
余談ですが、幸田延がロンドンを訪れた際に日本大使館で夕食を取ったという記録があるので、もしかして今回演奏する場所は当時から大使館だったのだろうかと調べたところ、残念ながら幸田が訪英したとき大使館は別の建物にあったことがわかりましたが、同時に現在の日本大使館の建物が「ジェントルメンズ・クラブ」であったこともわかりました。女人禁制だったその場所に、サフラジェットカラーを纏って立ち、スマイスを演奏することは、かなり意味のあることだと思いました。
加えて、「夜に着られる礼服に相当する服は、ロングドレスしか持ち合わせがなかった」こともひとつ理由です。2022年時点ではまだ、ロングドレスではない女性の礼服の候補は限られていて、もしわたしが手持ちのスーツを当日着て行ったとしたら、タキシードに蝶ネクタイをしたピアニストと釣り合わなくて、チグハグになっていたと思います。日本ではなかなかこのニュアンスが伝わりきらないのですが、イギリスではドレスコードは人々の中に常識として眠っています。おそらくこの感覚は、日本に暮らす人たちが土足とそうでない場所を見分けられることに似ています。わたしはもう少しリッチになったら、ドレスアップシーンにも耐えうるスーツをあつらえたいと思っています。
つまり衣装もこれだけ作品の背景を反映させられること、表現の一部になり得ることを鑑みるに、たとえば「全員に黒を着せておく」というのが衣装フリフリズムの対策になるとは言い難いです。むしろ色の選択肢を失ったら、フリフリがどんどん複雑化していくでしょうね。
今回共演してくれたピアニスト・ダニエルは、わたしがこの件の依頼を受けたメールに、「幸田は初めて知った曲だけれどもちろん楽しみだし、スマイスはずっと弾ける機会を待っていたんだ!」と返してくれました。珍しい選曲ではあるので、最初にリハーサルをした時には「ところでなぜスマイスを選んだの?」と訊かれて、かくかくしかじかと答えたところ、なるほどねと言いながら「デイム・エセル・スマイスのことは(女性参政権運動の活動家として)みんな知っているけども、その曲のほうはなかなか演奏されなくて本当にもったいないよね、もっと弾かれるべきだ」と言ってくれたのですが、エセル・スマイスのこと、このソナタのことを知っていた段階でダニエルって本当にすごい人だなと思い、この方に共演をお願いできた幸運を噛み締めました。
実際ダニエルなしには今回の演奏会はこのようにはできなかったと感じるところが多々あり、クライスラーは過去に一緒に演奏した曲も含まれていましたし、幸田は構造的にはシンプルなのでアンサンブル自体はしやすいのですが、スマイスの難しさはなかなか手強いものでした。メジャーな曲でないと演奏を断られることもありますが、それどころか一緒に楽しんでくれたピアニストに、心からの感謝と拍手を送りたいです。そしてもちろん、そんな難しい譜面のめくりを引き受けてくれた友人もえかちゃんがいたからこそ、成り立ったプログラムです。
コロナ禍ゆえにこの演奏会は対面での開催が3年ぶりであったことも相まって、終演後の熱気はとても高く、お客さまにこのプログラムを楽しんでいただけたという手応えのようなものが感じられました。終演後お客さまとお話をする中で、みなさんの「気に入った一曲」がそれぞれ異なったのは興味深かったです。幸田とクライスラーのいくつかは弾いたことがあったけれど、特にスマイスは初めて取り組む作品だったので、個人的はもっと練りたいと思う部分がありますが、ひとまずレパートリーになったので今後も向き合える機会があるでしょう。
今在任されている林肇大使はクラシック音楽が大変お好きとのことで、わたしは以上のような作品の背景を事前にお話する機会はなかったのですが、当日演奏が始まる前のスピーチの中で、大使が幸田延とエセル・スマイスに関して、その生い立ちから業績まで詳しくご解説くださり、驚くと同時に、プログラムについてあらかじめ調べた上でご傾聴くださったのがなにより嬉しかったです。日本人でも知らない人が多い「幸田延」という音楽家をご紹介できたことは、おこがましくも上野の音楽学府の後輩としては誇りに思います。
話が大変長くなりましたが、以上を踏まえて、こちらの動画をご紹介して本稿を閉じます。日本大使館の文化担当の皆さまが、当日の様子をお届けする動画を作ってくださいました。わたしの演奏は全曲分、そして最後にちょっとしたインタビューの動画が含まれた動画です。もしお気に入りの曲が見つかったら、ぜひお友達にシェアしてください。この演奏会がお気に召したら、拍手の代わりに動画に高評価を押してくださいますと嬉しいです。
Originally Published on 10 June 2022 at 08:10 on my ex-blog