あたらしい写真に

はらだまほ
Mar 11, 2023

--

筆者の宣材写真(ドレスで楽器を持って笑顔)

17歳から使い続けたプロフィール写真を新しくしました。今日はその撮影裏話について書きたいと思います。

(この記事は2019年に作成したブログ記事の転載です)

・ちょっとこだわりたい

顔は変わらないのですが、さすがに8年も撮りなおさないと写真詐欺のような気がしてきました。しかもずっとおでこな人生を歩んでいたわたしも、およそ1年前に試しに前髪を眉上で切ってみて、それが自分の中でしっくりきたのでしばらく前髪をキープする確信が持てたので、だったら新しい写真にしましょうよ、という気持ちになりました。

筆者17歳の宣材写真

にしても、そこでついちょっと人と違うことをしたくなっちゃう。もちろん演奏時の正装ですからドレスを着た写真は必要でしょう。しかしこの8年の間に、ただドレスでおすましした写真だとわたしのキャラクターが伝わらないことを感じました。

イギリスで博士課程まで行って何をしていると言えば、演奏家のジェンダーについてをテーマに研究しています。そしてなぜジェンダー領域に興味を持ったかと言えば、わたしが今日の”女の子像”にはまりきらないとずっと感じていたからなのです。でも近年、本当にここ2,3年で、”女の子像”の枠はかなり広がりを見せてきましたね。

わたしは本番にドレスを着ることもあれば、ドレスシャツにスーツを合わせていくこともあります。また今後自分の写真は研究発表の場でも使われることが予想されます。そうなったときに、自分が好きなテーラードスタイルの写真があってもいいかもな、と思ったのです。

・ポートベローマーケットで

博士課程に入ってしばらくの間、冬に帰国したらよき方にヘアメイクをしていただいてよき方に撮っていただこうと考えていました。とはいえドレスではなかったら何を着ようかなあと思っていた矢先、気まぐれに寄った古着屋さんで、紺色のスーツに一目惚れ。バーズアイの生地の上着に釘付けになるわたしに、店主は「それは1960年代のビスポークよ」と声を掛けてきました。「ちょっと鏡の前で羽織ったら?」。

まぁ見た瞬間からなんとなくわかっていたのですよね、自分のサイズだって。ひざ下丈のスカートは左側に下半分だけボックスプリーツが入っていてしゃれていました。現代ではまず見られないスーツです。

これで買わなかったらきっとずっと後悔するんだろうな。というかこれを着て写真を撮ったらどうだろう。店主があきれるほど店内で悩んだ挙句、わたしはそのスーツを連れて帰りました。生地がたっぷりと重たいので、帰国の際にはスーツケースに収めるのに苦労しましたけれど…!

・都内某喫茶店にて

2018年暮れに、撮影がおこなわれる運びとなりました。友人に紹介してもらったカメラマンの方に、こういうこだわりの元にドレスとスーツの両方の写真を撮りたくて、とお話ししたところ、実際にお会いして打ち合わせをすることになりました。

落ち着いた雰囲気のカフェで待ち合わせをして、自己紹介から始めます。カメラマンの新津保さんは、わたしがどういった研究をしている人間なのか、芸術や表現に対してどんなことを思っているのか、そういったことまで尋ねてくださり、ご自身の経験も交えながら、わたしの話を広げてくれます。なんだかこんな風に芸術について熱く語るのも久しぶりだなと思いました。

いろいろお話をしたあとで、シャツみたいなシンプルな服でも撮ってみない? というご提案を受けました。そのとき新津保さんは意図していなかったと思いますが、わたしは毎日シャツを着ている人間なので、アイコンとしてはぴったりだと思いました。

2時間たっぷりとお話しをして、わたしの人となりを知っていただいたところで、新津保さんがきらきらとした目で「人柄が出せるようにがんばるわぁ」とおっしゃってくださったのが印象的でした。

・撮影の日

筆者の宣材写真(ドレスで楽器を持って笑顔・別カット)

撮影当日は、わたしが写真を撮られ慣れていないというのもあって、友人ふたりに同席を頼み、場を和ませてもらいました。でもそれ以前にカメラマンの方もメイクの方もとても気さくで朗らかなので、何気なく話が弾んで始終たのしい空気でした。

とりわけおもしろかったのが、スーツを着て腰かけたわたしにレンズを向けるうちに、新津保さんが「生徒会長みたいだ!」と言いながら、「これメガネかけさせたいなぁ」とつぶやきました。思わず「メガネありますよ」と答えるわたし。「いいねかけてみよう!」。

そのあと着替えてシャツになってつらつら弾いている姿を撮っているときにも、新津保さんはその場で1日スタイリストと呼ばれていたわたしの友人に「メガネ持ってきて!」と指示。わたしはいい角度に楽器を構えていたので「動いちゃダメよ!」と言われその姿勢のまま踏みとどまります。

筆者の宣材写真(シャツに眼鏡で楽器を弾いている)

かつてわたしはこんな文章を書いたことがありました。
「たとえば宣材写真など、男性はメガネありでも成り立つのに、女性ばかり普段メガネをしている人すら外している風潮にも争いたかったのだと思う(なおわたしの宣材写真が裸眼なのは、単にわたし自身は素顔はメガネなしバージョンだと思っているからである。いつかスーツで写真を撮る機会があったら、メガネ版を撮ってみるのも悪くないとは思っている)。」

だからこの撮影中のメガネについてのやりとりが、なにかわたしの感じていたことを真に理解してもらえた気がして、とてもうれしかったのです。

・たかがスーツ、たかがメガネでも

かつてわたしはメガネを使うことがとても嫌でした。親世代は今以上にメガネが忌み嫌われていて、わたしの大叔母もメガネをかけていたせいで何度もお見合いを断られたと言っていました、ちなみに最終的に夫となった人は、むしろメガネをかけていることも良いと思ってくれた人です。

この15年ほどでメガネはぐっとおしゃれになり、ファッションアイテムとして世に浸透しました。”忌み嫌われる”点だけを見れば、メガネがいた立ち位置というのは、フェミニズムの扱いに似たものがある気がします。だとしたら、メガネがそうなったように、これからはフェミニズムも”思想のひとつ”としてより世間に受け入れられていく未来が見えます。

フェミニズムから派生して、服装のさらなる自由も見えるでしょうか。パンツスーツはタイトなものばかりでありきたりなものしかない、だからってスカートを選ぶのだって必ずしも甘さやエロさがほしいわけでもないのであって。

体にあった美しさは絶対ある、その点での性別の違いは反対しません。でも、いろんなものがある時代に、なぜひとつの概念にはまらなくてはいけないのか、とは思います。わたしはやっと、女性ものの衣類の中にも、自分の心が納得するポジションを見つけました。それが今回選んだ、60年代のたっぷりとしたシルエットのスーツなのです。

体のつくりにおいて、男女の身体的な違いは、そりゃあるのですが、今まではそれが常に「だから女は足りない、弱い」の理由に使われていました。女体は常に「人間」として扱われずに、極端に神格化するか、はたまた卑猥なものとして忌み嫌われてきましたが、それはその枠を押し付けられてきただけで、本来誰もが等しく人間として生を受けただけの話なのであります。(この段落:2021年10月訂正及び加筆修正)

いつの日か、平等と多様性が実現したらいい。そんな思いも多分にこめた今回の宣材写真。すてきに撮ってもらえて、とっても気に入っております。

Originally Published on 13 March 2019 at 14:02 on my ex-blog

--

--

はらだまほ

ヴァイオリン弾き。装備は弓とペン。いつでもシャツ着てます。藝高/東京藝術大学/英国王立音楽院修士・博士。ロンドン在住。